創業者からのご挨拶

稲岡グループの50周年にあたり、 稲岡グループ創業者の稲岡輝雄が創立当時の経緯を語ります。

地元茅ヶ崎への思いについて

私が生まれ育った茅ヶ崎は、生活のリズムがゆったりと流れていて本当に住みやすい街だと思っております。私は若いころ、東京の会社に10年間勤務しておりました。

東京から茅ヶ崎へ戻ってきますと、やはり心地よい空気、都会とは違った自然がある環境、海があって山があって、素晴らしい場所だと感じていたもので、昔から変わらず茅ヶ崎に愛着を持っております。

起業した経緯について

茅ヶ崎に、浜見平団地・鶴が台団地など大規模な団地の建築が行われて、その後人口が急増しました。実家で農業を営んでいた土地も、鶴が台団地建築時に買収が行われました。当時は私もサラリーマンでしたが、買収時のお金を生かしながら何かできないかと考えておりました。人口が増えたことから、真っ先に住宅産業を考えました。

その頃、鶴が台団地にお住まいの方々が車の置場がないという問題がありましたので、近隣農家の地主の方々が所有している土地を駐車場にできないかと提案をし、駐車場の賃貸を始めてまいりました。

それから団地にお住まいの方の子供たちが大きくなり、住宅が狭くなって少し大きな家に移りたいというお話を伺いしましたので、一戸建ての住宅の供給を始めてまいりました。これが、私の不動産会社を起業した経緯となります。

会社の50年を振り返って

最初は、会社が成功するかわかりませんでした。そのため、自宅の応接間を事務所にしスタートしました。その後、香川の一番地に事務所を構えてブティックと不動産会社を経営しておりました。当時の香川一番地は、まだまだ田舎で、のんびりと経営しておりました。

その後、高田にございます現在の本社ビルの土地は、将来134号線につながる道路が通るということでしたので購入いたしました。そして、昭和47年に本社ビルを建設し、徐々に従業員を増やしてまいりました。

チャリティー餅つき大会

香川から高田に移った際に、地域の方々とコミュニケーションをはかり、また地域に貢献していこうと、チャリティー餅つき大会を行い、その後20年間続けてまいりました。

地域の若者や、ママさんバレーの方、いろいろな方々の協力を得ながら、餅つき大会を行ってまいりました。そこで得た収益を社会福祉協議会の方へ寄付させていただき、非常に楽しい地域貢献になっていた催しものでした。

支店の出店

その後、駅前に支店を出し、続いて南口支店出店、 北口支店出店と、 茅ヶ崎を南、北とカバーしながら、茅ヶ崎の不動産・住宅の稲岡ということをみなさんに知っていただけるような形をとってまいりました。おかげさまで、茅ヶ崎市内で認知されてきたと思います。

稲岡グループのキャラクターのサニーちゃんについて

設立当初からサニーちゃんを会社のトレードマークに掲げてまいりました。サニーちゃんのような明るい心、明るい家庭を作っていただけるような住宅、そして明るい街づくりをモットーに提供したいということで、稲岡のイメージキャラクターにしてまいりました。いろいろな仕事をしていく上で、サニーちゃんと稲岡の結びつきがお客様の中にも浸透してきたかなと思っております。

サニーちゃんの心を大切にしながら、会社の方針として、地域社会の一員としての経営をしてまいりました。その中で一番のモットーは「心の通うおつき合い」であり、地域密着経営に据えて今まで歩んでまいりました。

私の基本となることは、「一生懸命」何事においても一生懸命、人生においても一生懸命、そこから生まれる良いものがたくさんあるだろうと思っておりますので、これからも「一生懸命」ということを心の基本におきながら社員と共に歩んでまいりたいと思います。